みなさん、かつて奥多摩に湯治場があったことをご存じでしょうか。江戸時代以降多くの人々が訪れ賑わったその温泉地の名は小河内温泉。鶴の湯をはじめとする4つの源泉を持つ温泉でした。

小河内、と言うのは、奥多摩の一番奥、西の外れ、即ち東京都最西端の地域の名前です。この地にはかつて小河内村という村があり、昭和30年(1955年)、近隣の氷川町、古里村と合併して現在の奥多摩町となりました。

昭和32年の小河内ダム完成により、小河内村はその大部分が湖底に没しましたが、小河内温泉は源泉を湖畔へ引湯、後にポンプアップされ、現在は奥多摩町内外の旅館等へ配湯されています。

引湯された源泉は、鶴の湯、ムシの湯、鹿の湯の三つが混合されたものなのですが、現在は、最も大きな源泉であった鶴の湯の名で呼ばれるようになりました。

今回は、そんな鶴の湯の歴史を追いかけ、実際に鶴の湯温泉に入ってみましょう。

鶴の湯があった場所 小河内へ

最初に向かうのは水と緑のふれあい館。場所は小河内ダムの目の前です。まずはここで、小河内の歴史について学んでいきます。

奥多摩駅近くにあるE2ringを出発したら、郵便局の見える西の方向へ向かいましょう。この道は青梅街道(国道411号線)です。江戸時代には甲州裏街道と呼ばれ、江戸から甲州へ至る路として庶民に多く利用されていました。

もっとも、現在使われているのは昭和に入ってから整備された新道です。当時の道は「むかし道」として残されており、ほとんどの区間がアスファルト舗装されているものの、道祖神や名跡が残り、昔の旅人気分になれるでしょう。また、舗装区間に関してはE2ringのバイクでも走行が可能です。

むかし道(アスファルト舗装区間)。

江戸期、明治期の人々が鶴の湯のあった小河内に向かうためにもこの路が使われたのですから、小河内ダムまで、この道を辿ってみるのもいいでしょう。

E2ringのバイクだと、青梅街道で15分くらい、むかし道経由でも20分程で小河内ダムに到着します。バスを利用する場合は奥多摩駅から15分程。奥多摩湖バス停で下車して下さい。ちなみに徒歩だと4時間くらいの道のりです(歩いて行くのも楽しいですよ)。

小河内ダムの資料を見よう!水と緑のふれあい館

水と緑のふれあい館は小河内ダムの目の前に建っています。入館は無料で、ダムや水の働きについての展示、郷土資料館などが入っています。最上階にはレストランとお土産屋さんもあります。

今日は、まず郷土資料館に入りましょう。ここには、奥多摩地域で出土した縄文時代の土器や、その後の各時代の遺物が展示されていて、およそ1万2千年前にこの土地で人が暮らし始めてからの歴史のあらましを知ることが出来ます。

この展示の中には出てきませんが、件の鶴の湯温泉は今からおよそ600年以上前、南北朝時代に開湯されたと言われています。宿もできて盛況となったのが江戸期で、関東有数の湯治場となりました。最盛期には7軒の温泉宿があったそうです。

何となく歴史が分かったら郷土資料館を出て、ふれあい館の螺旋階段を上って行きましょう。中程に、ダム建設に関する展示があり、当時の写真を多数見ることができます。

全てが歴史的資料として貴重なものなのですが、今回特に見て欲しいのが、ダム湖注水前の地形や、集落の様子をうかがい知れる写真です。小河内村、鶴の湯温泉がどんな場所だったのか。人々はどのように暮らしていたのか。今では数少ない資料から想像するしかありませんが、ここに展示されている写真たちはそのための大きな助けになることでしょう。

以下の歴史年表を見ながら写真を見るとより楽しめると思います。

小河内温泉(鶴の湯)の歴史年表

(曖昧不確かな情報も含まれますのでご注意ください。曖昧な情報には ※曖昧 と表示します)

1361年(延文6年):鶴の湯開湯※曖昧。

1670年頃(寛文10年頃):湯本原島家により湯宿開業※曖昧。

江戸期~明治期にかけて湯治場として盛況※曖昧。

1889年(明治22年):原・河内・川野・留浦、4つの山峡集落が合わさり、小河内村となる。農耕と養蚕で生計を立てる暮らし。

1931年(昭和6年)6月:東京市が、小河内村に貯水池の計画を発表。大正15年の第二次水道拡張事業計画では東村山浄水場とともに大貯水池の建設が主体とされていたが、水利権等の問題から他水系へのダム建設はかなわなかった。そのため、多摩川流域から候補地が選定され、最終的に小河内村に決定した。

1933年(昭和8年)8月:多摩川下流から取水している神奈川県二ヶ領用水組合が建設反対を提起。東京府、神奈川県の間での水利紛争に発展。昭和11年に解決を見るまでダム計画はストップ。小河内は近いうちに水没するので畑で作物を育てても意味のない状況だった。自然、住民のいくらかは耕作を放棄し、小河内村は急速に荒廃が進んだ。一方でダム建設の計画が進まぬため、移転、補償も進まない。住民は経済的にも精神的にも困窮していたという。

1938年(昭和13年):起工。

1939年(昭和14年)~1942年(昭和17年):村の移転が始まる。ダム竣工までに、旧小河内村と山梨県丹波山村及び小菅村の945世帯約6,000人が移転したとされる。特に、小河内村はその殆どが水没、失われた。

1943年(昭和18年)10月5日:太平洋戦争激化により工事中断。予定地の耕作が可能となり、村に戻る人や、疎開のために移り住む人もいたようで、村は一時賑わいを取り戻す※曖昧。

1945年(昭和20年)8月15日:終戦

1948年(昭和23年)9月10日:東京都が工事を再開。村は再び荒廃してゆく。

1951年(昭和26年)9月16日:小河内村解散式が行われる。翌年、補償問題が解決に至る。

1955年(昭和30年)4月1日:小河内村、氷川町、古里村が合併し、奥多摩町が誕生。

1957年(昭和32年)11月26日:小河内ダム竣工。数件の温泉宿は工事用の宿舎も兼ねて最後まで営業を続けていたらしいが、その胸中はどのようなものだったろうか※曖昧。そして、鶴の湯を含む小河内温泉は湖底に沈んだ…。

1959年(昭和34年)1月:鶴の湯引き上げに成功。

1991年(平成3年)9月:鶴の湯温泉ポンプアップにより復活。温泉利用開始。引き上げた温泉は、鶴の湯、鹿の湯、ムシの湯の三源泉を合わせたもので、当時の物とは厳密には同じではないが、温泉成分にはほとんど変化がないとのこと。

これで、ダム竣工当時の様子がいくらか想像できたと思います。その他の展示も適宜見学し、ふれあい館を出ましょう。

湛水前の地形が見れる!?小河内ダム展望塔

さて、数々の写真で過去の様子をうかがい見たわけですが、これだけだとイマイチ全体像が掴めませんよね。ダムの底に沈んだ旧小河内村をもっと知るために、次は小河内ダムの展望塔に行ってみましょう。

ふれあい館を出たら、左の方向へ進みます。交番があって、右に折れると余水吐の水門上を通る水根橋です。この水門は、大雨が降った時に水位調整のために放流をする際に使用されるものです。普段はカラッカラに乾いていて、大雨の時だけ水が流れます。

水門を越えると、前方にはダムの本体ともいえる堤体が見えてきます。この堤体の途中に建っているのが、小河内ダム展望塔。中に入ると堤体よりも高い視線で、ダムの全体像が良く見えます。

小河内ダム堤体 中央に見えるのが展望塔

今回、注目して欲しいのは展望塔二階にあるジオラマです。要するに小河内ダムの模型なのですが、この模型は水面下の地形まできちんと造られていて、つまりダムに水が入る前の様子がよく分かるのです。

正しくはディオラマだ!

堤体直下には発電所があり、そこから多摩川が始まります。現在の地図を見ると、先ほど水門があった余水吐の方が多摩川となっているのですが、もともとそちらは水根沢という支流で、発電所のある方が本来の多摩川でした。この場所で川を堰き止めて奥多摩湖が造られたというのが、このジオラマを見るとよくわかります。

そして鶴の湯は今…。鶴の湯源泉を見に行こう!

鶴の湯の歴史、そしてどのような運命を辿ったのか、大筋でお分かりいただけたかと思います。それでは今、鶴の湯はどうなっているのか。鶴の湯温泉源泉を実際に見に行ってみましょう。

小河内ダム、水と緑のふれあい館を離れ、更に西へと進みます。青梅街道を走ること約4km、鶴の湯トンネルを抜けるとすぐに、右側に砂利敷きのスペースが現れます。ここが鶴の湯源泉です。

鶴の湯源泉

このスペースの奥には鶴の湯温泉源泉の看板とともに、穴を穿った岩にチョロチョロと温泉が注ぐ小さな装置が置かれています。隣にあるフェンスで囲まれた場所が、ポンプによる汲み上げ場で、83mの湖底から温泉をくみ上げています。

年表にも書きましたが、汲み上げられているのは鶴の湯、鹿の湯、ムシの湯の三源泉を合わせたもので、オリジナルの鶴の湯とは微妙に違います。しかし成分分析の結果、ほとんど変わらない成分であることが分かっています。

バスで訪れる場合は汲み上げ場の目の前にある「女の湯(めのゆ)」バス停で下車してください。

女の湯というのは目の湯からきているようで、これは湖底に沈んだもう一つの源泉の名前です。この源泉は、他の三つとは場所が離れており、そのためなのかは分かりませんが、湖底から汲み上げられることはありませんでした。

汲み上げられた三源泉のあるバス停が汲み上げられなかった源泉の名前になっているとは面白いですね。この辺りのバス停「女の湯」「湯場」「熱海」は、この地が温泉地であったことに由来しています。

ところで、かつての源泉はどの辺りにあったのか、気になりませんか?地図で見てみましょう。

大体この辺りに、鶴の湯、鹿の湯、ムシの湯源泉があったそうです。現在の源泉からだと、東側の鶴の湯トンネルを抜けて、つぎの室沢トンネルのある尾根の先です。トンネルとトンネルの間から湖の方を見れば、何となく当時の様子が想像できるかも知れませんね。

この辺りの谷底に、かつて温泉宿が建ち並んでいた…。

目の湯は下の地図の辺りです。

失われし温泉を偲んで。温泉神社にご挨拶

今度は少し引き返して、温泉神社にお参りしたいと思います。

鶴の湯源泉から東へ、来た道を戻って行きましょう。2km程走ると丹下堂という郷土料理のお店があります。丹下堂を見送り、熱海トンネルをくぐると右に脇道がありますので、右折して下さい。バスの場合は倉戸口バス停か、一つ手前の熱海バス停で下車しましょう。

右折したら坂道をドンドン登っていきます。少し分かりにくいですが、倉戸山登山口を示す道標に従って進んで行くと、温泉神社にたどり着くことが出来ます。最後は階段から登っていきますので、見逃さないようにしましょう。熱海バス停で降りた場合は、バス停目の前の階段からスタートしてください。

階段を過ぎて急な上り坂を登っていると、右手に小河内ダムが見えてきます。余水吐水門と堤体がよく見える、抜群の視点場です。素晴らしい眺望を楽しみつつ2~3分登ると到着です。

集落の一番上に鎮座。

温泉神社は、鶴の湯源泉、湯壺の隣にありました。鶴の湯温泉と同じく南北朝時代の創建と言われていて、小河内ダム竣工による村の水没前に、現在の位置に勧請・移築されたものです。本殿が建てられたのは明治6年の事。今からおよそ150年前の建築です。

あまり、大きな神社ではないのですが、なかなかパワーを感じる場所でした。これから鶴の湯温泉に入りますから、しっかりとご挨拶をしておきましょう。

お勉強はおしまい!いよいよ入湯です!

温泉神社を後にし、一路、温泉に入れる玉翠荘を目指します。玉翠荘は奥多摩駅のほど近く、多摩川を見下ろす川沿いにある旅館です。鶴の湯温泉を使っており、日帰り入浴ができます。近くにある奥多摩温泉もえぎの湯が有名ですが、こちらは自家源泉を使っていて鶴の湯ではありません。

青梅街道を東進し、奥多摩駅前まで戻りましょう。E2ringを利用されている場合は、この時点でバイクを返却してください。残りの工程は全て駅徒歩圏内なので問題ありません。バスの場合は南二丁目バス停か、奥多摩駅バス停で下車します。

ちなみに、鶴の湯に入れるのは玉翠荘だけではありません。また、温泉を販売している場所もありますので、ポリタンク等で持ち帰ってお家で入ることもできます。オクタマニア氏による「小河内温泉(鶴の湯温泉)マップ」に詳しくまとめられていますのでぜひご活用ください。

玉翠荘は渓谷の斜面に建っていて、地上三階地下四階!

玉翠荘の日帰り入浴は、大人750円、子供500円。内湯の浴槽ひとつだけのシンプルなお風呂ですが、大きな窓からは多摩川、氷川渓谷を眺められて解放感があります。

日帰り入浴 9:00~18:00

定休 火・水+平日に一日程度

鶴の湯温泉はアルカリ性単純硫黄泉。ph9.75。ほのかな硫黄臭とぬめりのあるお湯です。600年前から続く歴史ある温泉。半世紀以上前に湖底に消えた小河内村に思いを馳せながら、のんびりと湯浴みを楽しんでください。

湯上りのお楽しみ!奥多摩のクラフトビールを飲もう

さて、お風呂に入って火照った体に、まずは何を注入するべきか。色々な意見があるでしょうが、ここはひとつ、ビールってことにしていただきたい。

ただのビールではありませんよ!奥多摩で造られてるクラフトビールです。

BEER Café VERTERE(バテレ)は、奥多摩駅の目の前にあるクラフトビールの店。ここで造られた色んな種類のビールを愉しむことができます。フードメニューも、フィッシュアンドチップスとか唐揚げとか、ビールに合うものが色々揃ってます。

この唐揚げは奥多摩で一番かも知れません。

古民家を改装した居心地の良いお店は、座ってるだけでもいい気分にさせてくれますよ。なお、鶴の湯温泉とは一切関係ございません!

歴史を知ると色々楽しくてお得

今回のルートは、湖底に消えた鶴の湯温泉を追いかける旅でした。ロマンチックな気分を味わっていただけたでしょうか?

奥多摩(小河内)は、その昔は関東有数の湯治場でした。昭和32年11月、小河内ダム竣工により、かつての温泉郷は村ごと湖に沈みました。それから三十数年を経ての汲み上げ成功。そんな温泉に今、入ることができるとは…。

歴史を知ることで、温泉の暖かさを何倍にも感じられたのではないかと思います。同じようにして、奥多摩の色々な魅力を発見していただけたら、とてもうれしく思います。

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